地球の陸地のすみっこで

オタクの単なる雑記ブログです

理想が高いのも完璧主義なのもいいけれど、ベクトルだけは間違えてはいけない

こんにちは、そろそろ収入を増やさなきゃなと思い始めている桜雨です。

ウェブライターだったんだけれど、体を壊しちゃったために、長い間、お休みしていたのですが、体調良くなったし、頑張りたいなと思っています。

ただ、ウェブライターは量をこなさないと収入ならないので、また体を壊しちゃうだろうということで、違う方法を模索しなきゃなとも思っている次第。

そこで目を付けたのが、アクセサリーを作ってや手作りの野菜をネットか何かで売るというものです。実際の収入はウェブライターより少ないのは分かっていますが、体調を崩すよりはいいだろうし、今は収入を少しでも上げることが大切だと思いました。

外に働きに行くのが一番いいんだけれど、高校を卒業してからは実家の農業(お米作り)を手伝っていました。その後、父が大病をして、このままじゃ農業を続けられないからとスーパーにアルバイトの面接に行ったら、農業は職歴にならないと言われて、外に働きに行くのは諦めました。

お米作りを頑張ってきたのに、社会的に見たら私はニートでした。悲しい。

そんなことは置いといて、この計画を母に話した時、色々と思うところがあったので、それを書いていきます。

何故そんなに否定するの?

母は自分では否定をしているつもりではないのですが、二言目には、「それは駄目」や「いけない」とかとりあえず否定するんですよね。

母としては、私の計画を止める気はないんです。でも、「無理でしょ」って言ってしまいます。

母は私の行いを止める気はないから、否定をしているつもりはない。だけれども、できっこないと思っているから、結果的に、計画を話をした私は否定されたという気分になってしまうのでした。

そりゃ、ただテレビで副業特集を観て、やってみたいと言ってるわけだから、私の計画だって穴だらけなのは確かなんです。アクセサリー作りといっても手先だって不器用だしさ……。

否定をする原因は〇〇でした

母の話をよくよく聞いてみると、アクセサリーならお店で1万円払わないと手に入らないような品質や完成度じゃないとダメだし、野菜ならビニールハウスでしっかりと育てて、包装も高級な感じにしなきゃいけないしとかなり理想が高いことが判明したんですよね。

母の脳内にある理想が高すぎるから、「無理」って即言ってしまうようなんです。

そりゃ、無理だわ。

アクセサリーを作ろうと思ってる私は、お店で1万円払わないと買えないようなアクセサリーを作ることはできないし。ただ、世の中には素人臭いものが好きという人もいるわけだから、そこに甘えるわけではないけれど、最初はそういう優しい人たちに少しだけでも買ってもらえれば嬉しいな程度なんですよね。

理想が高すぎて、完璧を求める母はそれゆえに、出来ないと即座に判断していました。時間を無駄にしないという意味では、ある意味賢いのかもしれません。ただ、私はそれは違うと思いました。

理想が高すぎて、完璧主義すぎて失っているもの

即座に自分では無理だと判断して、やらないということは時間を無駄にしないし、疲れるわけでもないし悪いことじゃない。

理想が高すぎると、思い描くイメージが上級者が作ったブツだったり、プロ級だったりして、いきなりこれを作らなきゃいけないと思っているわけだから、「あなたには無理」となる。

これって、結局、何もできないってことだよね。

初心者がいきなりプロ級のものを作れるわけないし、不出来なものは売らなきゃいいだけだし。売るではなくて、純粋な楽しみになる可能性だってあるじゃない。

何事もやってみれば、実際に向いているかどうかも分かるし、やり続けていればそれなりの品質のものができるだろうしさ。

理想が高いのはいいと思うんだ。行動を起こせば、その高い理想に向かって挫折するまでは走れるわけだから。

だから、ベクトルの問題。

理想が高いゆえに、それに向かって行動を起こすか、諦めちゃうか。

どっちが良いか悪いかっていうことは全然ない。

ただ、理想が高すぎて何事も諦めてたら、ただ飯食って寝るだけの人生になっちゃうじゃんって思っただけ。そういう人生が悪いわけじゃないんだけど、私にとってはそういう人生ってつまらないなって思ったの。

だからといって、何事も挑戦し続けていたら、お金や時間とかとにかく消耗しすぎて、結局、何もしなかった人と同じみたいな結果にだってなっちゃうし。

その時々で、どちらのベクトルにするべきかを自分の体力や能力、割くことができる時間とかを考慮して判断しなきゃいけないってこと。